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会社の最寄り駅に、本を貸してくれるコーナーがあって、読むものがないときは、その少ない選択肢の中から選んで借りることがあります。そうすると、普段は読まないような本を手にすることもあり、意外におもしろかったりします。先日、「数学者の休憩時間」藤原正彦著(新潮文庫)というエッセーを借りたら、これがおもしろかった。
その中に、中学高校で実生活でほとんど役に立たない数学を教える目的はなにかという話があります。中学高校の先生に聞くと、1つには論理的思考の育成にあるということだが、疑問だというのがその論旨です。そうだとしたら、数学者はよほど論理的思考にたけているはずだが、かならずしもそうではないと言うのです。それを分析していて、世の中の論理と数学の論理を比較しています。世の中の論理は、論理ステップが短いが、各ステップで必ず正当性が減少するのに対して、数学の論理は、論理ステップは長いが、各ステップは100%の正当性がある。その上、世の中の論理を展開する人はいろいろな立場があって、論理は(ほぼ)正しいが、出発点が違うので、結論は正反対になったりする、というわけです。
というわけなので、数学の目的を論理的思考の育成に置くのはやめましょう、ということで、長くなるので書くのはやめますが、それに代わる目的をきちんと挙げられている点がすばらしいです。
さらにすばらしいのが、論理的思考をどうやって育てるかについての提言です。国語科に肩代わりしてもらうのが、適当だと書かれています。小論文や論争など、言語を通して指導した方がよい。部分否定と全体否定、必要条件、十分条件、逆とか対偶なども、国語科で教えることができる。ですから、国語科の目的とされる言語と文学に加えて、論理も入れるのがいいのではないか、ということです。
そして、教育改革の根底となる指導精神まで、議論を拡げていて、僕は本当に感心したのですが、次のように書かれています。
「現在の『知識』に重心をおいたものから、『論理+情緒』に重心を置き換えるのが、正しい道と思っている。」
(「数学の論理 世の中の論理」より)
この説明としては、別のところに出てくる次の分が適切と思います。
「知的判断において決定的なのは、いくらもある論理の中から、どの論理を選ぶかである。通常この選択は、情緒によりなされる。ここでいう情緒とは、喜怒哀楽などの原初的情緒だけでなく、友情、勇気、愛国心、正義感などから、美感や調和感、なつかしさ、他人の不幸に対する敏感さ、などの高次のものまでを含む。
人間が論理的思考を行う時、必ずその出発点がある。出発点は情緒によって選ばれる。どんな家庭に育ったか、どんな友達、先生、書物に出会ったか、どんな恋や失恋をしたか、どんな悲しい別れに出会ったかなど、ありとあらゆる経験や環境が、人間の情緒を形成している。」
(「コンピュータの判断 人間の判断」より)
この著者は、後の方を読んで初めて知ったのですが、作家の新田次郎氏の子供でした。文才も引き継いでおられるようです。日常を書いたエッセーもとてもおもしろいので、お勧めです。
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