翻訳関連のソフトを作成しているというと、よく「市販の翻訳ソフトの訳はひどいですね。」と言われます。
こういうときに、いつも思い出すのが、学生時代にロボット工学で有名な森政弘先生が講義で話された、「義手はとても人間の手にはかなわないと人は言うが、義手なら天ぷらを手であげることができる。」という話です。つまり、人間の優れた点、劣る点機械の優れた点、劣る点、それぞれにあるので、見極めて使い分けることが大事だというのです。
福岡大学の柴田先生からパソコンの翻訳ソフトに関する講演の原稿を送っていただきました。この中で、「人間の翻訳家はパソコンのレベルに劣る。」と言い切っておられます。
許可をいただきましたので、その部分を転載します。
長文ですので、興味がある方だけどうぞ。
--------------------柴田先生の講演原稿からの転載始まり--------------------
From: Katsuyuki SHIBATA
(4)人間の翻訳家はパソコンのレベルに劣る。
機械翻訳ソフトを使ったことがある人たちは、異口同音に「機械翻訳のレベルは、人間の翻訳能力にはまだまだ遠く及ばない。」と言う。長尾真氏をはじめとする機械翻訳システム制作者自身もそのように言っている。しかし、私の考えは反対である。人間の翻訳家の原文解析能力はパソコンのレベルに劣っている。これは、日本翻訳協会発行「月刊翻訳の世界」に連載されている別宮貞則氏(上智大学・比較文学)の「月刊誤訳批評」(毎月のワースト誤訳本を紹介)を10数年に渡って愛読してきた私の偽らざる実感である。また、河野一郎氏(東京外国語大学・翻訳論)の「翻訳上達法」(講談社1975年)には、19世紀英国文学の邦訳書の誤訳例を中心に、数多くの誤訳のパターンが解説されているが、それによると、普通は1ページに4、5カ所の誤訳があり、「数あるさまざまな誤訳を、その原因別に大きく分けてみると、圧倒的に多いのは、初歩的な語学知識の欠如によるものであり、少し英語のできる中学生であれば間違うはずのないようなミスを、ベテランといわれる多くの翻訳者がしばしば犯している」(上述書40ページ)。草分け的なグロータス(柴田武訳)「誤訳」(三省堂1967年)以
来、このような日本における誤訳の氾濫に警鐘をならす本は数多く出版されるようになった。
今回は、パソコン翻訳ソフトの利用に関して第1人者と見なされている、プロ翻訳者のO氏がパソコンによるつたない訳文を良い訳文になおすコツを解説している著書を題材にして、原文を正しく訳しているのはパソコンソフトなのか、それともそれを修正したO氏の方なのかを検討する。なお、O氏は私が知る限り、プロ翻訳者の中では非常に実績のある人であり、他の多くの翻訳家の翻訳能力はO氏の程度か、あるいはそれ以下であり、以下の論考は、O氏が翻訳家の中で「劣等生」であると主張するものでは全然ない。むしろ、日本の多くの職業的翻訳者の典型として、その翻訳の特徴を分析したいのである。
以下の例文は、O氏の著書に載っている、アメリカの地域別の景気動向を解説した記事と、それを翻訳ソフト"Logo
Vista E to J"に訳させた結果およびそれを大場氏が「日本語として立派に読めて、しかも正しく意味が通じる」ように、ブラッシュアップした、という見本として載せているものである。
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《Logo Vista による訳》
《O氏によるブラッシュアップ》
(柴田のコメント)
第2文は、パソコンの訳も多少おかしいが、原文の文法的な構造は基本的に正しく解析できている。これに対してO氏の「ブラッシュアップ」は第1文の訳を上回るメチャクチャ。パソコン訳・O氏訳で共通の誤りは、「critical」を「批判的な」としている所。ここは「決定的な」とか「成功の鍵を握っている」とかいう意味でないと通じない。また、「has
boomed in the past year」は現在完了であって、過去形とは意味が違う。現在完了形は、過去の出来事が現在まで何らかの影響を及ぼしていることを表すための時制であり、「ニューヨーク市地域のどのような反騰に対しても決定的な役割を果たすウオール街は、過去1年間ブームに沸き続けている。」などと訳すべきであろう。
O氏は、上の第2文の理解を誤ったために、第3文の「however」が論理的にまったくつながらなくなってしまったので、無視して訳している。自分に理解できないフレーズや文をすっとばして訳してしまうのはプロの翻訳者の常套手段。「while」を「while
on the other hand」の使い方と混同したために「一方」という訳語が出てきたが、ここの「while」は単純に2つの事柄が同時進行していることを表しているに過ぎないから、「証券会社が依然として経費削減に焦点を合わせており、銀行も統廃合を続けているからである。」程度に訳すべきである。
ラストの文のO氏の訳は、もう、抱腹絶倒。こんな翻訳を読んだ読者は、「ニューヨーク市では、住民のために市当局がわざと物価を高い水準に止めているのか」と思い込んでしまう。「to
compete」を「競争するために」のように、「to 不定詞」を常に目的を表すものと思いこんでいるので、こういうことになる。これは他の多くの翻訳者にも見られる共通の誤り。ここは、もちろん、「
too」+(形容詞または副詞)+「for」+(意味上の主語)+「to」+(動詞)=>「(主語)が(動詞)するにはあまりに(形容詞または副詞)過ぎる」という、中学3年生の必修文型だから、「労賃と住宅建設費が依然として高すぎる水準に留まっているため、市当局は雇用と住宅の面で他の地域と競争することができない」となる。Logo
Vista の文法規則にも、上述の必修文型パターンが登録して無かったと見えて解析に失敗しているが、O氏訳ほど頓珍漢ではない。
私は決してO氏がたまたま誤った部分だけを意図的に抜き書きしたわけではない。たとえば前述書の216ページには、中学校の英語の教科書から転載したと思われる「マッチ売りの少女」が出ているが、「筆者のつたない文学的素養を総動員して、童話らしい日本語に書き直した」という訳文が、これまた誤訳だらけで、抱腹絶倒の珍訳が続出する。
これら数々の誤訳を見て気が付くのは、O氏の翻訳の特徴は、英文を「英単語の順不同の集合」と考えていることで、それらの単語の日本語訳語を、自分が納得できるような意味を構成するように、適当な順序で並べ替えると翻訳文ができあがり、というわけである。英語の単語の語順は、syntactic
structure を表現する決定的なファクターだという認識は皆無で、英文には「統語構造」がある、という認識すら皆無と思わざるを得ない。だから、原文中の動詞の主語すら、しばしば間違える。O氏の認識では、その原文に出てくるすべての名詞が原文中の動詞の主語になりうる可能性があり、実際にどの名詞が主語なのかは、彼が納得できるような意味(文意)を構成できる名詞が主語なのである。
以上のような特徴は決してO氏だけのものではなく、上記河野氏の著書にあげられている英国文学作品の邦訳の誤訳例においてもしばしば見られる。コンピュータによる構文解析においては、しっかりした文法規則データを登録してあれば、このような誤りは起きず、またウッカリした見落としは基本的にあり得ないから、平均的な人間の翻訳者よりも正確な翻訳が期待できる。しかし人間の翻訳者は、(1)自分の翻訳に自信がもてない部分は無視して訳出しない、(2)つじつまが合わなくなると、原文に無い文章や字句を勝手に挿入する、などのテクニックを駆使して、一見もっともらしい「訳文」をデッチ上げる能力に長けている。この点において機械翻訳システムは決定的に劣っている。これまでの機械翻訳システムの開発は、原文の構文解析に重点を置いて研究が進められてきたが、今後は、長尾氏も言っているように、「柔軟な(下線は柴田による)文生成技術による読みやすい文章の作成」の研究を強化する必要が大である。なお、この点についても、1986年の時点で既に上野俊夫氏が前褐書のなかで具体例をあげて指摘しており、私の1990年の著書「C言語による英和翻訳システム」の中でも
引用して紹介してある。
--------------------柴田先生の講演原稿からの転載終わり--------------------
The recession might be over in this hardest hit of all places, but a recovery
is hardly noticable. Wall Street, critical to any rebound in the New York
City area, has boomed in the past year. Employment in financial services
has not increased, however, because securities firms are still focusing
on cost cutting while banks consolidate. A study of the Federal Reserve
Bank of New York warns not to expect anything but a muted recovery, because
labor and housing costs remain far too high for the city to compete with
other regions for jobs and residents. (以下省略)
景気後退はこのすべての場所の最も厳しい一撃で終わっているかも知れない、しかし回復はほとんど目立たない。ウオール街は、どんなはね返りにでもニューヨーク市地域で批判的で、先年でブームになった。財務サービスでの雇用が、しかしながら、証券会社が、銀行統廃合である間、コスト削減に焦点を合わせている依然としてであるから増加しなかった。ニューヨークの連邦準備銀行の研究が抑制された回復以外の何物を予期しないこと、仕事とハウジングコストがあまりにも高くしているからシティのためにそうすることは仕事のために他の地方で競争して、そして常駐することを警告する。
各地で多大の打撃を与えてきた景気後退は、ようやく終焉に近づいたかに見えるが、だといって景気回復は辛うじてその兆候が見られる程度である。ウオール街では、昨年ブームに沸いたニューヨーク市地域で再度値上がりがあるとする見方には批判的である。銀行の統廃合が進められる一方で、証券会社は依然として経費削減に力を注いでいるため、金融サービス分野の雇用は増大しなかった。ニューヨーク連邦準備銀行の調査によれば、抑制された景気回復以外は何も期待しないよう警告している。なぜなら、雇用の確保と住民のために市が他の地域と競争できるよう労賃と住宅建設費を依然として高い水準に止めているからである。
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第1文では、Logo Vista の訳では「hit」の直訳語「一撃」を「一撃を受けた当地」と補足してやれば、基本的に正しい訳になっている。他方、それを修正したO氏に訳文は、原文とは全く意味が違っている。原文では、「各地で」ではなく「もっとも厳しい打撃を受けた当地では」と書いている。「終焉に近づいたかに見える」ではなく、「本当は終焉に近づいたのかもしれないが(譲歩のmight)、表面上はその兆しはほとんど見られない」と書いて有る。
Logo Vista の訳は、日本語としてみると、ぎこちなくてちぐはぐな感じはするが、O氏訳のようなごまかしや混同は無い。
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☆アンドロメテック☆
前田 慎一
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